
誓願は経典の心臓部です。薬師如来は仏となる前は菩薩であり、古い仏の前で十二の約束を立てました。どの願も「私が悟りを得るとき……」ではじまり、特定の苦しみが消えた世界を描きます。ここでは玄奘訳(650年)に忠実に言い換えて、それぞれを紹介します。念のため。これらは15世紀以上前にインドで書かれた宗教的な願いであり、医学的な結果の約束ではありません。
一、すべてを照らす光
私の体が輝いて数えきれない世界を照らし、すべての生きものが仏の相で飾られますように。これが光の願です。
二、透きとおった体
私の体が瑠璃のように清らかで、内も外も透きとおり、その光が生きものたちの闇を払いますように。これが青い色の説明です。
三、何も欠けないように
智慧と無限の方便によって、すべての生きものの必要を満たし、必要なものに事欠く者がひとりもいませんように。
四、正しい道へ
誤った道を行く者が悟りの道を見いだし、声聞や独覚の乗りものを自分のためだけに進む者が、大乗に落ち着きますように。
五、清らかな行い
戒を受けながらそれを破った者が、私の名を聞いて清らかさを取り戻し、悪い境遇に落ちませんように。
六、満ちた体
容貌の醜さ、盲、聾、障害、治りがたい病に体を損なわれた者が、私の名を聞いて、すべての機能を備えますように。ここで経典が示しているのは、障害が社会的な排除の理由だった時代における、満ち足りた状態への精神的な願いです。伝統は、これを医学的な治療の約束とは読みません。
七、頼るもののない者のよりどころ
病に苦しみ、支えも医者も家も資力もない者が、私の名を聞いて楽になり、やがて悟りに至りますように。
八、女性という境遇から解き放つ
その境遇の苦しみに打ちひしがれ、そこから離れたいと願う女性が解き放たれますように。経典は古い世界とその考え方を映しています。各伝統がそれぞれに解釈し、現代の師たちはより広い読み方を提案しています。
九、魔の網から解き放つ
すべての生きものが、魔の網と誤った教えの束縛から救われ、正しい見方に落ち着きますように。
十、牢獄から解き放つ
鎖につながれ、罰せられ、王に脅かされる者が、私の功徳の力によって、恐れと悲しみから解き放たれますように。
十一、飢える者に食べものを
飢えに苦しむ者が、まず満腹になり、つづいて法の味に養われますように。
十二、寒さに震える者に衣服を
貧しく、裸で、寒さや蚊や暑さに悩まされる者が、立派な衣、飾り、花、音楽、楽しみを受けとれますように。
全体の読み方
十二の願が、物質的なことと精神的なことを交互に並べていることには驚かされます。飢えが智慧の隣にあり、衣服が戒の隣にあります。第一・第二の願は仏の光について、第三から第五は道について、第六から第八は体と人間の境遇について、第九は思想の自由について、第十は正義について、第十一と第十二は基本的な必要について語ります。この最後の組が、信仰にとても具体的な姿を与え、仏教圏の相互扶助の施設を生む力にもなりました。古代の日本では、それぞれの願が十二神将のひとりに結びつけられました(象徴と伝説をご覧ください)。
出典
『薬師経』玄奘訳(大正蔵450)、Raoul Birnbaum, The Healing Buddha (1979)。達磨笈多、玄奘、義浄の各版は、細部がわずかに異なります。
記事を読む東方の浄土:ヴァイドゥーリヤニルバーサ、瑠璃光の国